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徳島地方裁判所 平成元年(ワ)399号 判決

主文

一  被告穴吹町及び同徳島県は、連帯して、原告内藤憲二及び同内藤美代子各自に対し、金二三五九万一一七九円及び内金二一四九万一一七九円に対する平成元年八月九日から、内金二一〇万円に対する本判決言渡の翌日から、それぞれ支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告内藤憲二及び同内藤美代子のその余の請求並びに原告内藤節子の請求を棄却する。

三  訴訟費用中、原告内藤憲二及び同内藤美代子と被告らとの間に生じた分はこれを三分し、その一を同原告らの負担とし、その余を被告らの負担とし、原告内藤節子と被告らとの間に生じた分は同原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

1  被告らは、連帯して、原告内藤憲二及び同内藤美代子各自に対し、金三八〇〇万四三七三円及び内金三四五四万九四三〇円に対する平成元年八月九日から、内金三四五万四九四三円に対する本判決言渡の翌日から、それぞれ支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、連帯して、原告内藤節子に対し、金一一〇〇万円及び内金一〇〇〇万円に対する平成元年八月九日から、内金一〇〇万円に対する本判決言渡の翌日から、それぞれ支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、穴吹町立三島中学校の野球部員が被告徳島県所有の運動場で練習中、部員の一人である内藤康仁が死亡したことについて、その両親(原告内藤憲二、同内藤美代子)と祖母(原告内藤節子)が、康仁の死亡は指導教諭等の故意、過失ないしは運動場の設置管理の瑕疵によるものであるとして、被告穴吹町に対しては国家賠償法一条一項に基づき、被告徳島県に対しては同法一条一項、三条一項、二条一項に基づき、右死亡による原告らの損害の賠償を求めたものである。

(争いのない事実)

一  当事者

1 内藤康仁(以下「康仁」という。)は原告内藤憲二及び同内藤美代子(以下それぞれ「原告憲二」「原告美代子」という。)夫婦の長男であり、原告内藤節子(以下「原告節子」という。)は康仁の祖母である。康仁は、平成元年四月穴吹町立三島中学校(以下「三島中学校」という。)に入学し、同年五月一日から同中学校の課外クラブの一つである野球部に入部し、練習等の部活動に参加していた。

2 被告穴吹町は、三島中学校を設置管理しており、平成元年八月当時、近藤弘朗は同中学校の教諭として、川西正は同中学校の助教諭としてそれぞれ勤務し、近藤弘朗教諭(以下「近藤教諭」という。)は野球部の指導担当員を、川西正助教諭(以下「川西助教諭」という。)はソフトボール部の指導担当員をしていた。

3 被告徳島県は、市町村立学校職員給与負担法に基づき、近藤教諭及び川西助教諭の俸給・給与等の費用を負担しているものであり、また、徳島県美馬郡穴吹町三島字舞中島(吉野川河川敷)所在の穴吹町県民運動場(以下「県民運動場」という。)を設置管理しているものである。

二  本件事故の発生

1 三島中学校は、平成元年七月「夏休み部活動練習計画」を作成し、課外クラブの夏休み中の活動計画を定めた。これにより野球部の練習は、七月二一日ないし二五日、二七日、二八日、八月一日、三日、五日、九日ないし一一日、一八日、一九日、二一日、二四日ないし二六日、二八日、二九日、三一日と定められた。練習場所は、県民運動場とされた。

2 康仁は、野球部員の一人として、夏休みに入つて以後、前記日程による練習に参加した。野球部の平成元年八月九日の練習は、近藤教諭立会いの下、いつものとおり県民運動場で午前九時から行われた。当日の練習は、最初にランニング、キャッチボールが行われ、午前一〇時ころ一回目の休憩があり、次いでフットワーク練習があり、午前一一時ころから二回目の休憩があつた。康仁は二回目の休憩に入つたとき、近藤教諭の許可を得て、手足を洗うため堤防をはさんで向かい側にある潅漑用水路に行き、同用水路で手足を洗つてグランドに戻る途中、潅漑用水路側の堤防で倒れ、意識を失つた。このため、川西助教諭が救急車を呼び、午前一一時四七分康仁を近くの平野医院に搬送したが、康仁は同日午後二時四〇分死亡した。

三  損害の填補

原告憲二、同美代子は、日本体育学校健康センターから、各金七〇〇万円、合計金一四〇〇万円の死亡見舞金の支給を受けた。

(本件争点と双方の主張)

一  康仁の死因

1 原告らの主張

康仁が死亡した直接の原因は最重症の熱中症である熱射病に起因する急性心不全である。

2 被告らの主張

右事実は知らない。

二  被告らの国家賠償法に基づく責任の有無

1 原告らの主張

(一) 被告穴吹町の責任

三島中学校の教職員及び穴吹町教育委員会の委員及び委員長は、以下のとおり、その職務を行うにつき、故意、過失により、康仁を死亡するに至らしめたものであるから、被告穴吹町は、国家賠償法一条一項に基づき、康仁の死亡による原告らの損害につき賠償責任を負う。

(近藤教諭の故意ないし義務違反)

近藤教諭は、康仁を懲らしめる必要があるとの特殊な感情を抱き、本件事故当日激しい練習を強い、体力を消耗し尽くさせ、倒れる結果を招来させてこれに何らの救護措置も講じなかつたものであるから、康仁が死亡してもかまわないという未必の故意があつた。仮にそうでないとしても、近藤教諭は、三島中学校の課外クラブである野球部の指導に当たつていたものであり、その指導に際しては、運動クラブの活動に伴う危険を考慮して、安全第一を旨とし、常に生徒の動静を的確に把握しながら適切な指導に当たる教育専門的安全義務を負つていたのに、康仁に対し過度の負担を強いる練習を行わせ、その結果本件事故を惹起させ、同人を死亡するに至らしめたものであるから、教育専門的安全義務を怠つた過失がある。

(川西助教諭の義務違反)

川西助教諭は、ソフトボール部の指導担当教諭として三島中学校の課外クラブの指導に当たつていたものであるが、たとえ自己の担当する部活動でないとしても、必要に応じて担当教諭と協力しながら他の部活動の指導にも当たる教育専門的安全義務があるところ、本件事故当日、野球部と夏休みの部活動の日が重なり、同部の練習や部員達の動静を観察しうる状況にあつたものであり、康仁がフットワークの練習をフラフラになりながら行い、二回目の休憩時には衰弱しきつていた状態になつていたのを認めたのであるから、近藤教諭に注意を促すなどして本件事故を未然に防止すべき義務があつたのに、これを怠り本件事故を惹起させるに至つたものであるから、教育専門的安全義務を怠つた過失がある。

(校長及び教頭の義務違反)

三島中学校の大塚章善校長は学校教師集団の代表的教師として、また、真先教頭は校長を助け必要に応じて教育を司る者として、それぞれ生徒に対して教育専門的安全義務を負つていた。また、同人らは、公務を司る立場にあり、学校における施設設備、研修条件、教育活動の運営体制等の条件整備を通じて生徒の安全を保障すべき条件整備的安全義務を負つていた。したがつて、同人らは、各指導担当教諭が安全な指導方法を実践するよう監督し、また、各指導担当教諭がその専門的水準不足を補えるよう必要な研修条件を整備すべきであつた。しかるに、同人らは、近藤教諭や川西助教諭の危険な指導方法を漫然と放任し、生徒を危険な練習にさらし、本件事故を惹起させるに至つたものであるから、教育専門的安全義務及び条件整備的安全義務を怠つた過失がある。

(穴吹町教育委員会の義務違反)

穴吹町教育委員会は、三島中学校における安全基準を規定し、それを完全に実施していくべき条件整備的安全義務を負つており、三島中学校を監督し、同中学校の教職員らの教育専門的安全保障を物的、人的に補完する義務があつた。しかるに、同教育委員会はこれを怠り、本件事故を惹起させるに至つたものであるから、条件整備的安全義務を怠つた過失がある。

(二) 被告徳島県の責任

被告徳島県は、以下のとおり、国家賠償法三条一項、一条一項又は二条一項に基づき、康仁の死亡による原告らの損害につき賠償責任を負う。

(費用負担者としての損害賠償責任)

被告徳島県は、市町村立学校職員給与負担法一条、二条により、三島中学校の教職員の俸給、給与等の費用を負担している。

(徳島県教育委員会の義務違反)

徳島県教育委員会は、康仁のような子供が求めていた真に必要な実質的かつ具体的な条件整備的安全義務があるのに、これを尽くすことなく、三島中学校の教職員らの教育専門的水準不足の状況を放置し、本件事故を惹起させるに至つたものであるから、条件整備的安全義務を怠つた過失がある。

(被告徳島県の営造物設置又は管理の瑕疵)

県民運動場には休憩施設も水道施設もなく、安全性に欠けていた。また、その設置管理者である被告徳島県は、これを貸し出す際に、使用者に休憩施設、水道施設が存在しないことに対応した事故防止に関する特別注意事項を知らせるべきであつたのに知らせなかつた。したがつて、被告徳島県の営造物である県民運動場の設置管理には瑕疵があつた。

2 被告らの主張

原告らの主張はいずれも争う。

(一)  本件事故当日の野球部の練習に過酷なところはなく、康仁にも健康状態に異常をきたしていた徴候は見られなかつた。しかも、本件事故が課外クラブ活動中の事故であることに鑑みれば、近藤教諭には、康仁から身体の不調の申出もないのに、あらかじめ健康の異常を発見し、これに対処すべき義務まであつたものとはいえない。また、近藤教諭は康仁の異常を発見してから最善を尽くしその救護に当たつており、そこに何らの義務違反はない。このことは、川西助教諭についても同様であり、本件事故について同助教諭に過失はない。

また、三島中学校の「夏休み部活動練習計画」に基づく野球部の部活動は午前中の涼しい時間帯に行うものとされ、近藤教諭の指導した練習も何ら無理のないものであり、練習場所の県民運動場にはテントとベンチを用意し、麦茶も準備していたものであるから、校長及び教頭に教育専門的安全義務違反及び学校管理者としての条件整備的安全義務違反が存在するものとはいえない。

さらに、穴吹町教育委員会は、三島中学校の部活動について、事故防止策である施設設備、教職員勤務条件、学校活動運営体制などの教育条件整備的安全義務を怠つた過失はない。

以上のとおりであるから、被告穴吹町に国家賠償法一条一項に基づく責任はない。

(二)  徳島県教育委員会は、教員の学校事故防止のための条件整備に種々努めており、原告らの主張するような義務違反はない。また、徳島県教育委員会には、三島中学校の教職員の職務を指揮監督する権限はない。

本件事故と県民運動場に休憩施設、水道施設が設けられていなかつたこととの間には相当因果関係はないから、県民運動場に設置管理の瑕疵があつたものとはいえない。

以上のとおりであるから、被告徳島県に国家賠償法一条一項、二条一項に基づく責任はない。

三 損害額

1 原告らの主張

(一)  原告憲二、同美代子の損害

(葬儀費用)

原告憲二、同美代子は、康仁の葬儀費用として、合計金一四〇万五五四一円を支出した。

(康仁の逸失利益)

康仁は、本件事故により死亡しなければ、一八歳から六七歳まで就労可能であつたものであり、少なくともその間毎年平成三年版賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者の平均賃金年額五三三万六一〇〇円の収入を得ることができたものと推認されるから、うち二分の一を生活費控除し、新ホフマン係数による中間利益控除を行い、康仁の得べかりし利益の死亡時の現価を計算すると、金六一六九万三三二〇円となる。原告憲二、同美代子はこれを二分の一ずつ相続した。

(慰謝料)

康仁を本件事故により失つたことによつて、原告憲二、同美代子が被つた精神的苦痛を慰謝するためには、各金一〇〇〇万円が相当である。

(損益相殺)

原告憲二、同美代子は、日本体育学校健康センターから各金七〇〇万円の死亡見舞金の支給を受けたので、これを前記損害から控除する。

(弁護士費用)

原告憲二、同美代子についての、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、合計金六九〇万九八八六円とみるのが相当である。

(二) 原告節子の損害

(慰謝料)

原告節子は、康仁の祖母であり、康仁とは一三年間もの間同居し、可愛がつてきた。しかるに、康仁が本件事故により死亡したことにより、原告節子は深い衝撃を受け、神経障害を来たし、精神科の病院に入院するまでに至つた。このような原告節子の精神的苦痛を慰謝するためには、金一〇〇〇万円が相当である。

(弁護士費用)

原告節子についての、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、金一〇〇万円とみるのが相当である。

2 被告らの主張

原告らの損害についての主張は、損害の填補を除きすべて争う。

四 過失相殺適用の有無

1  被告らの主張

仮に、被告らに損害賠償責任があるとしても、本件については、次のような理由により、相応の過失相殺がされるべきである。すなわち、原告憲二の供述によれば、康仁は、本件事故前一回、二回の練習日に食欲不振を訴え、昼食をとつた後嘔吐してしまうことがあり、八月五日も嘔吐した旨を妻から聞いたとのことである。してみれば、康仁の親権者である原告憲二、同美代子は、康仁の体の不調を三島中学校及び近藤教諭に報告すべき義務があつたというべきであり、康仁も当時中学一年生であつたのであるから、事故当日の練習中にでも近藤教諭に体の不調を訴えておくべきであつたというべきである。そして、このような訴えがあれば、本件事故は未然に防止しえたものといえるから、原告憲二、同美代子及び康仁には、本件事故発生につき過失があり、本件損害額の算定に当たつては、相応の過失相殺がされるべきである。

2  原告らの主張

被告らの右主張は争う。

第三  争点に対する判断

一  争点一(康仁の死因)について

《証拠略》によれば、康仁は熱中症により死亡したことが認められる。

二  争点二(本件事故についての被告らの責任の有無)について

1  本件事故に至る経緯

《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件事故当時、三島中学校の課外クラブは、男子はソフトボール部、野球部、卓球部、女子はテニス部、バレーボール部の運動部だけであり、文化部はなく、生徒はこの運動部のいずれかに参加することが原則とされていた。康仁は、小学校時代からレスリング教室に通つており、レスリングには強い関心を寄せていたが、球技は苦手の方であつた。しかし、前記のように、三島中学校では球技を扱うクラブしかなく、しかも全員参加が原則とされていたため、練習が比較的緩やかであるという野球部を選び、平成元年五月一日入部した。

(二) 野球部は、昭和六三年四月以降近藤教諭(社会科、体育科担当)が指導に当たつており、本件事故当時の部員数は一一名(一年生三名、二年生八名)であつた。練習は主として平日の放課後に行われ、練習場所は学校のグランドが整備工事に入つた関係で、平成元年度の一学期から吉野川河川敷の県民運動場が利用されていた。夏休みの練習は、三島中学校の教師が作成した「夏休み部活動練習計画」に基づき、七月二一日ないし二五日、二七日、二八日、八月一日、三日、五日、九日ないし一一日、一八日、一九日、二一日、二四日ないし二六日、二八日、二九日、三一日と定められ、場所はいつものとおり県民運動場とされた。

(三) 夏休みに入つて以後、野球部の練習は前記日程に従い県民運動場で行われた。一日の練習内容は、午前九時練習開始、ランニング、同九時一〇分準備運動、同九時一五分キャッチボール、同九時四五分素振り、同九時五〇分休憩、同一〇時二〇分守備練習、同一一時休憩、同一一時一五分トスバッティング、同一一時四五分休憩、午後零時五分シートノック守備練習、同零時三五分ランニング、同零時四〇分整理運動、同零時五〇分後始末、同一時終了とされ、ほぼこの内容のとおりの練習が行われた。練習場の県民運動場はソフトボール部(部員一四名、川西助教諭指導)の練習場所としても利用され、同部の練習時間も午前九時から午後零時ころまでとされていたため、練習日が重なる時は、両部が交互に県民運動場を利用していた。県民運動場は吉野川の河川敷を利用したグランドで、日差しをさえぎる木立等はなく、練習日には学校側で用意したテントが一つ張られた。また、県民運動場には水道施設がなく、飲料水は両部とも約八リットル入りのクーラー二個を持参したほか、部員各自が任意に水筒を持参した。部員の服装は、上がTシャツ、下はトレーナーのズボンで、帽子は着用が義務付けられていたわけではなかつたが、康仁は家で使用していた帽子をかぶつて練習に参加していた。

(四) 本件事故当時、康仁は身長一六七センチメートル、体重七六キログラムで、肥満体ではあつたが一学期に学校で行われた健康診断では特に異常はなかつた。康仁は、性格的に責任感が強く、我慢強くもあつた。しかし、康仁の野球の技量は未熟な方で、球をすくい上げて捕球するのではなく上から押さえつけて捕球するため、他の部員と比較して捕球のミスが多く、練習にも時間がかかることが多かつた。

(五) 本件事故当日(平成元年八月九日)、練習はいつもどおり近藤教諭の指導の下で午前九時に始められた。当日午前の穴吹地方の天候は晴天で暑く、穴吹地域気象観測所の記録では、午前九時の気温が摂氏二七・五度、午前一〇時の気温が摂氏二九・一度、午前一一時の気温が摂氏三〇・九度で(湿度は徳島市においてそれぞれ六三パーセント、六五パーセント、六六パーセント)、風速は毎秒一メートルであつた。この日はソフトボール部の練習日にもなつており、同部も川西助教諭指導の下、午前九時ころ練習を開始した。野球部の練習は、最初二〇〇メートルのグランド一〇周のランニングが行われ、体操、キャッチボールのあと素振りの練習があり、午前九時五〇分ころ一回目の休憩に入つた。この休憩時に康仁は自分で持参した水筒の水をゴクゴクと飲んだところ、近藤教諭から、水は余り飲まないよう注意された。三〇分後練習が再開され、守備練習としてフットワーク練習が行われた。これは、一一名の部員が二組に分かれ、一つの組(五ないし六人)の中で投げ手と捕り手を一人ずつ決め、投げ手が捕り手にゴロ、ワンバウンド、ノーバウンドの三種の球を一種類ずつ連続して前後左右に投げ、捕り手がそれぞれの種類の球をミスなく五〇球(合計一五〇球)捕るまで続けるというもので、小学校時代から野球をやつている部員にとつてもきつい練習であつた。このフットワーク練習は、それまで夏休み前の放課後に三、四回行われただけで、夏休みに入つてからはこの日が初めてであつた。康仁は、前記のとおり捕球に難があつたため、ミスなく決められた回数をこなすのに他の部員よりも多くの時間を要し、最後の方では這いつくばつて球を捕る有様で、衣服は汗と土で泥まみれになつた。近藤教諭は傍らでこのフットワーク練習を監督した。

(六) フットワーク練習は午前一一時ころ終わり、二回目の休憩に入つた。康仁は休憩に入つてすぐ、近藤教諭に、堤防の反対側にある潅漑用水路に手を洗いに行つてよいかと尋ね、その許可を得て、フラフラしながら堤防を上がつて行き、セメントの部分で足を滑らせた。この様子を見た近藤教諭は、康仁の状態が普通でないと判断し、部員の奥谷文雄に一緒についていくよう命じた。康仁は潅漑用水路のところまで行つて手足を洗い、洗い終わると、近くにいた農夫に水が飲めるのかを聞いた。しかし、農夫の答えは汚くて飲めないとのことであつたため、康仁はこれをあきらめ、再びグランドに戻ろうとして、奥谷と堤防を上がり、中段付近まで来たところで、突然意識を失い仰向けにゴロンと倒れた。そして、康仁は、そのままその場に倒れていたが、十数分後全身を激しく痙攣させ、口から泡を吹き始めた。このため、驚いた部員(西内章宏)の知らせで近藤教諭や川西助教諭が駆けつけ、川西助教諭が急いで近くの公衆電話で一一九番急報をし、間もなく現場に到着した救急車で康仁は午前一一時四七分ころ近くの平野病院に搬送された。

(七) 搬送時、康仁は、意識なく昏睡状態で、体温は四〇・一度、血圧は最高が六四、最低が三〇で、意識、瞳孔の対光反応はなく、全身にチアノーゼがあり、極めて重篤な状態であつた。平野和雄医師は、症状からみて熱中症であると判断し、直ちに応援の平野直彦医師を呼び寄せ、ステロイドホルモン、昇圧剤の投与、酸素吸入等の救命措置を講じたが、そのかいもなく、康仁は午後二時四〇分死亡した。当時康仁の衣類は、汗のため、水をかぶつたように濡れていた。

2  熱中症の発生機序、予防法等

《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(一) 熱中症は、暑さのため身体の水分や熱のバランスが崩れ、正常な機能が損なわれることによつて生ずる病態である。この熱中症は、身体の水分が不足した状態のときに起こりやすい。これは、水分が不足すると体温調節の機能がうまく働かなくなるためである。また、湿度が高い時、風がない時には、汗をかいても蒸発しにくいため、体温を下げる効果が落ち、熱中症にかかりやすい。さらに、性格的に真面目、我慢強い人は頭痛やめまいなどの熱中症の症状が出始めているのにそれを我慢して練習を続ける結果、重篤な状態になつてしまうことがある。

(二) この熱中症の中で最も重篤なものが熱射病で、異常な体温の上昇により中枢神経障害が起こり、時には死に至る。症状は頭痛、めまい、嘔吐などから始まり、運動障害、錯乱、昏睡に至る。体温は四〇度以上となり、しばしば痙攣、不随意運動を伴う。この熱射病はいつたん起こると死亡率が非常に高いため、予防が第一である。予防法としては、練習中の水分補給を十分に行うこと、日差しの強い時間帯の練習を避けること、練習前後の体重をチェックして水分補給が適切に行われているかを見ること、体力のない選手や新人選手には無理のないトレーニングメニューを立てることなどが重要である。また、予防と同時に発症を早期に発見することも重要で、練習中にフラフラしていたり、動きが明らかにのろくなつたりしたときは熱中症の疑いが強いので、涼しいところで安静にさせ、氷やアイス・パックなどでできるだけ早く体温を下げるようにしなければならない。

3  被告らの責任

(一) 被告穴吹町の責任

国家賠償法一条にいう「公権力の行使」とは、国又は地方公共団体がその権限に基づき優越的な意思の発動として行う権力作用に限らず、純然たる私経済作用及び公の営造物の設置管理作用を除く非権力作用をも含むと解するのが相当である。しかして、公立中学校において教師が生徒に対して行う教育活動は、純然たる私経済作用とはいえないから、国家賠償法一条にいう公権力の行使に当たるというべきである。この理は担当教諭の指導監督の下に行われる課外クラブ活動についても等しく妥当し、そこにおいて行われる担当教諭の指導監督も同法一条にいう公権力の行使に当たると解するのが相当である。

本件において、三島中学校野球部が近藤教諭の指導監督の下、夏休みの課外クラブ活動を行つていたことは当事者間に争いがない。原告らは、近藤教諭が康仁を懲らしめる必要があるとの特殊な感情の下に、本件事故当日康仁に激しい練習を強い、結果的に同人を死亡するに至らしめたとして、近藤教諭には、その職務を行うについて未必の故意があつたと主張する。しかし、本件事故に至る経緯は前認定のとおりであり、過失はともかく、近藤教諭に当初からこのような未必の故意があつたと認めることはできない。

ところで、公立中学校における課外クラブ活動の担当教諭は、部の活動全体を掌握して指導監督に当たるものであるから、練習において部員の生命身体に危険が及ぶと予想される場合は、あらかじめそのような危険が及ぶことのないよう配慮すべき安全配慮義務があるものというべきである。本件の場合、事故当日の野球部の練習は、高温多湿の真夏の炎天下、強い日差しをさえぎる木立もない河川敷グランドで、午前九時から午後一時近くまで行われることが予定されていたのであるから、その指導担当者である近藤教諭は、部員が暑さと激しい運動により熱中症にかかることのないよう、練習中は適宜休憩をとらせ、十分に水分補給をさせるとともに、練習中部員に熱中症を窺わせるような症状が見られたときは、直ちに練習を中止し、涼しい場所で安静にさせ、体温を下げる手立てをとるなどの準備をしておく必要があつたというべきである。とりわけ、当時の三島中学校においては、全員が運動部に所属するものとされていた関係上、康仁のように必ずしも野球を得意とせず、練習にも十分慣れていないものが参加していたのであるから、近藤教諭としては、練習が過度にわたり、これにより部員が熱中症を引き起こすことのないよう細心の注意を払うべき義務があつたというべきである。

ところが、近藤教諭は、本件事故当日、野球部の練習が高温多湿の真夏の炎天下に行われたにもかかわらず、一回目の休憩時に、持参の水筒の水を飲んでいた康仁に余り水を飲まないよう注意し、十分な水分補給をさせず、また、康仁が未だ野球の技量が十分でなく練習にも十分慣れていないにもかかわらず、他の部員と同じように運動量の激しいフットワーク練習を行わせ、その結果康仁がフラフラになつて用水路に行く姿を認めながら、他の部員に一緒についていくよう指示しただけで、そのまま康仁を放置し、本件事故に至らせたのであるから、康仁の身体の安全を確保すべき義務を怠つた過失があるものといわなければならない。そして、もし、近藤教諭があらかじめ熱中症の危険について察知し、康仁に十分な水分補給をさせるとともに、練習が過度にわたらないよう注意していれば、康仁が熱中症にかかることを防止しえたものと考えられるし、康仁がフラフラになつて用水路に向かつた時点で熱中症を疑い、直ちに同人を引き止め、涼しい場所で身体を冷やすなどの措置をとつていたならば、その時点で康仁を救命することも可能であつたと予想される。したがつて、近藤教諭の義務違反と本件事故発生の間には、相当因果関係があるものというべきである。

被告らは、本件事故当日の野球部の練習に過酷なところはなかつた旨主張するが、当日の練習が康仁にとつてかなりきついものであつたことは、死亡時の康仁の衣類が泥まみれになつており、しかも汗のため水をかぶつたように濡れていたことからも窺い知ることができる。また、被告らは、康仁には健康状態に異常をきたしていた徴候は見られなかつたとも主張するが、近藤教諭は堤防を上がつていく康仁の姿を見て奥谷部員に一緒に行くよう命じているのであり、このことからも、当時の康仁が尋常でなかつたことは明らかである。したがつて、被告らの主張は採用することができない。

そうすると、被告穴吹町は、国家賠償法一条一項に基づき、本件事故によつて原告らが被つた損害を賠償する義務があるものといわなければならない。

原告らは、川西助教諭にも同様の義務違反があつた旨主張するけれども、川西助教諭はソフトボール部の指導担当者としてたまたま現場にいあわせただけであるから、川西助教諭に前記のような義務違反があつたということはできない。また、原告らは、三島中学校の校長、教頭に教育専門的安全義務及び条件整備的安全義務違反が、町教育委員会に条件整備的安全義務違反があると主張するけれども、これを認めるに足りる証拠はない。

(二) 被告徳島県

被告徳島県は、市町村立学校職員給与負担法一条、二条により、近藤教諭の俸給、給与等の費用を負担しているものであるから、国家賠償法三条一項に基づき、本件事故によつて原告らが被つた損害を賠償する義務がある。

原告らは、徳島県教育委員会に条件整備的安全義務を怠つた過失があると主張するけれども、同教育委員会には三島中学校の教職員を指揮監督する権限はないから、原告らの主張は失当である。

また、原告らは、被告徳島県が設置管理している県民運動場には休憩施設も水道施設もなく安全性に欠けていたなどとして、被告徳島県の設置管理する県民運動場には瑕疵があつたと主張する。しかし、本件事故は、前記のように、近藤教諭が熱中症の危険について知り、あらかじめこれに対処する方策を講じていれば防ぎえた事故であり、県民運動場に休憩施設や水道施設がなかつたこととは無関係のものであるから、県民運動場の設置管理に瑕疵があつたということはできない。

三  争点三(原告らの損害)について

1  原告憲二、同美代子の損害

(一) 逸失利益

康仁は死亡時一三歳であつて、本件事故により死亡しなければ、一八歳から六七歳までは稼働可能であり、その間に平成三年版賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者の平均賃金年額五三三万六一〇〇円を基礎に計算した額の収入を得られたと推認することができる。そして、その間の康仁の生活費割合は五割とみるのが相当であるから、これらを基礎に中間利息をライプニッツ式で控除する方法により康仁の死亡による逸失利益の現価を求めると、金三七九八万二三五九円となる(五三三万六一〇〇円×〇・五×一四・二三六=三七九八万二三五九円)。原告憲二、同美代子はこれを二分の一ずつ相続した。

(二) 葬儀費用

《証拠略》によれば、原告憲二、同美代子は、康仁の葬儀費用として金一四〇万五五四一円を支出したことが認められる。このうち、本件事故と相当因果関係にある損害は、金一〇〇万円と認めるのが相当である。

(三) 慰謝料

前記認定の諸般の事情を考慮すると、康仁の死亡による慰謝料は、原告憲二、同美代子につき、各金九〇〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

(四) 損益相殺

原告憲二、同美代子が日本体育学校健康センターから各金七〇〇万円、合計金一四〇〇万円の死亡見舞金の支給を受けたことは当事者間に争いがない。これらは損益相殺として前記損害額から控除すべきものであるから、原告憲二、同美代子の前記各損害金二八四九万一一七九円からこれを控除すると、原告憲二、同美代子の損害額は各金二一四九万一一七九円となる。

(五) 弁護士費用

本件事故と相当因果関係にある原告憲二、同美代子の弁護士費用は、各金二一〇万円とみるのが相当である。

(六) 過失相殺

後記四のとおり、本件については、過失相殺の適用はないものと解するのが相当である。

2  原告節子について

原告節子が康仁の祖母であり、康仁と同居していたことは当事者間に争いがなく、原告節子が康仁の死亡により精神的に大きな衝撃を受けたであろうことは想像に難くないけれども、本件において、康仁の父母とは別個に、原告節子に慰謝料請求を認めなければならないほどの必要性があるものとはいい難い。

四  争点四(過失相殺)について

被告らは、本件事故当時、康仁は原告美代子に身体の不調を訴えていたのであるから、原告憲二、同美代子、そして康仁自らもこのような身体の不調を事前に近藤教諭に訴え、善処を求めるべきであつたものであり、これをしなかつた同人らには過失があり、相応の過失相殺がされるべきであると主張する。しかし、《証拠略》によれば、康仁が練習後嘔吐したのは八月五日ないしそれ以前の練習日においてであり、本件事故前日は普段と変わりがなかつたことが認められるから、このような四、五日前の嘔吐の事実を原告憲二らが本件事故当日に近藤教諭らに報告しなかつたとしても、そこに過失があるものということはできない。したがつて、被告らの過失相殺の主張は採用することができない。

第四  結論

そうすると、原告らの本訴請求は、原告憲二、同美代子において、被告穴吹町及び被告徳島県に対し、それぞれ金二三五九万一一七九円及び内金二一四九万一一七九円に対する本件事故日である平成元年八月九日から、内金二一〇万円に対する本判決言渡の翌日から、それぞれ支出済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 朴木俊彦 裁判官 近藤寿邦)

裁判官 白神恵子は転補のため、署名押印することができない。

(裁判長裁判官 朴木俊彦)

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